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Last episode on Opel Agila project, a joint program with Suzuki Motor Company. The episode covers topics that are a bit esoteric. Hibi san and Arno, both involved in the project from the very beginning, shared a ton of input based on their experience: both parties learning from each other, highlighting differences though both are car companies. Fro…
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スズキとの話が始まったのがスイスに赴任中の1995の後半。1997に覚書が交わされ、開発が徐々に開始。スズキ側も浜松に派遣された八名近くのオペルチームを快く受け入れてくれました。ファミリーの経緯としては、次女のメラニーがミシガン大学に入学。それと同時に智恵子と真悟も一時アメリカに帰ったんですが、僕が正式にVLEに任命され、ドイツに戻ったのをきっかけに又一緒に住む事になりました。この時期の僕はドイツと日本を行ったり来たり。フランクフルトからプロジェクトを見ていました。今回はスズキの商品企画にいた日比さんのコメントも含めて現場での話を中心にエピソードを構成しました。
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This episode is a quick summary of this new program covering key pieces from MoU to design to production preparedness. Family issues also entered big time as I transfered my work post from Switzerland to Germany to take on the responsibility as the VLE for the Agila program. As always, lots of ups and downs. But we now have a team set up in Japan; …
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スイスに赴任後、各種の事業に関わってきました。それと同時に会社の方は新たな車の開発に関してスズキとの協議が平行して進行。何をしていようと、常に僕にはスズキとの過去があったので、いつも呼ばれてその話に参加していました。幸いな事にその話も最後には合意にいたり、スズキを中心とした商品開発プロジェクトが開始。その時点でTDCのトップだったピーター・ハネンバーガーからVLEとしての役割を与えられました。今回のエピソードはどのようにこの話が煮詰まっていったのか、又どのような体制が作られオペル側がそのプロジェクトをサポートしたかなど、プロジェクト当初の話が中心です。僕自身、ドイツへの再赴任、新しい世界へ足を踏み込んだんですが、それと同時に自動車業界を揺るがす事件が発生。それがきっかけとなって僕のキャリアが…
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Though regardless of my formal position, I had always been pulled into GM Europe's discussions with Suzuki from the very beginning. As this potential collaboration became closer to a reality, I found myself basically devoting most of my time and emergy to ongoing discussions. Then once Opel and Suzuki agreed to do the program, I was assigned as the…
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前回のエピソードの続きです。スイス赴任中の後半に新しい仕事を任命され、又ドイツへ赴任という事になりました。メラニーはスイスの高校を卒業し、ミシガン大学に行くことになり、一時家族も一緒にデトロイトへ引き揚げて行きました。宗教の事でぶつかり合いが多かったこの頃、この一時的な別れは必要だったかもしれません。ドイツに又移るという事になったとき、智恵子と真悟、そして一時期的だけだったんですが、愛ちゃんも一緒に来ることになりました。ヨーロッパでの最後の一年。仕事の上ではここから又色々進展していくんですが、智恵子との関係の結末はこの時期すでに目に見えていました。
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アイゼナッハに居た時の時期も含めて、自分は三つの分野で役割を与えられました。ビジネス・プラン・ディプロイメント(BPD)を含めた研修の総括、商品(新車)開発進行の管理、そして最後はオペルのスズキと共同して開発した新車、オペル・アギーラ・プログラムのVLEとしての任命でした。 今回のエピソードはアギーラの責任者になるまでの道なりをまとめた話です。 トヨタから引き抜かれた中田さんの影響で研修部のダイレクターとしての仕事の’範囲が一段と拡大し、そこで一緒にやった日本流の目標管理方式の導入がオペルの技術センター内でも受け入れら受け入れられ商品開発に応用されるようになったわけです。 それらの仕事で多忙で多様な毎日を繰り返していたんですが、それを支えてくれたGMIOとオペルの幹部と直属のボス達、いつも何…
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Summer is here, and not so easy to devote a good quiet time to work on episodes. This one took almost two months to complete since the last one. Sorry for the delay. I have talked about being in Switzerland and my training role before and this episode sort of covers the transition into other areas, namely vehicle tracking and eventually to actual v…
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今振り返ってみると、僕がスイスに赴任した時期は自動車業界が激動の時期を迎えていました。そのお蔭か、自分はスイスへアイゼナッハ生産方式の基本をGMIO全体に浸透させるための研修ダイレクターとしての役割を果たす為に赴任したんですが、本社で色々な動きと接している中に他の分野でも同時に色々手を付けて行くことになって、職を変えていくことになりました。社内の動き、又社外で始まった企業再編成の時代への突入。その波にうまく乗る事ができ、僕のキャリアもその時点から思わぬ道筋へと進んでいきます。今回のエピソードはその環境の中でどのようにリーン生産方式に関するトレーニングをを展開していったかについて重点的にカバーしています。…
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I came to Zurich to take on a role as Director of Training and Organizational Development, thinking this assignment would last, at most, three years, and I would move on. Around this time, GM embarked on three major initiatives, and here in Europe, similar changes followed. One was the establishment of a position called Vehicle Line Executive. Anot…
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初めて経験したヨーロッパへの赴任、オペルアイゼナッハの工場立ち上げ事業も自分の役割が終わりに近づき、次はどこへと思っていた矢先でした。ボスのトムも色々話をつけてくれて、複数の可能性を検討したんですが、最後にはスイスにあるGMの海外事業本部へ移ることになりました。今回はGMIOの組織、GMの中での立場、それにまつわった人たち、自分がかかわっていく分野についての序文的なエピソードの構成になりました。最初から何年という話はなかったんですが、あれこれ三分野に関わり、あっという間の五年でした。
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This was my foray into the world of GM's international business. Over the five years spent in Zurich and Frankfurt, I covered three areas: introducing lean productiont principles to GMIO plants within Europe and beyond; developing a streamlined tracking process for new vehicle development; and leading the development team for a brand new Opel vehic…
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思いもよらなかった、アイゼナッハへのカナダから本社に戻ってすぐ一年後の転勤。その責務も果たし、又前回みたいにデトロイトへ戻るか、又は他のオペルの工場でのアイゼナッハ生産方式導入にかかわるかなどの、次の移転先の検討がいつものように始まりました。GM内での移動を優先的に勿論一番望んでおり考えていましたが、外部からも誘致があり、色々検討していた矢先、当時スイス、チューリッヒに本部を構えていたGMIOからの嬉しいお誘い。仕事内容もアイゼナッハ方式をGMIO管轄の工場での展開と言う、まさにドイツでの仕事の延長で、そのオファーを喜んで受け入れました。最初ドイツに転勤する事になった時は家族に大反対されましたが、今回は快くヨーロッパ滞在を延長することを受け入れてくれました。今回のエピソードはこのドイツからス…
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Thinking back, Eisenach was a whirlwind tour. And, now a time to move on to the next. Fortunately, an opportunity opened up to take up a new position at GM's international headquarters in Zurich, Switzerland. This time, I had no trouble convincing my family to move with me to another European location for the next 3 to 4 years. They thrived in Germ…
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2022年もカウントダウンに入った最近。このポッドキャストも、ライフストーリーは今回お休みして一年を振り返ってみました。コロナが理由だった面も確かにありましたが、比較的静かな一年でした。皆さんもこの一年、色々なことがあったと思います。家族が中心に展開したブランウン家の2022年。こうして又皆と一緒に元気に2023年の新年を迎えられることを感謝しています。にこは海外留学もありの大学二年、三唄は中学に入学。夫婦二人、のんびりリタイヤなどとは言っていられません。でも子供達こそが僕らの生活のエンジン、リズムを作ってくれています。彼らが僕らの生活の軸、それで今は十分です。皆さんも心身健康を維持し、良いお年を迎えてください。…
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I wanted to take a break from my life story, and look back on the year that is coming to an end in a few weeks. COVID still put a damper on our plans, but it was a year filled with family milestones, sombrer moments and joy. This was the year Niko left the house to attend a school on the East coast, Skye discovered baseball and flying, and us paren…
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This is the last episode of my 3 part Eisenach series, focusing on the work aspect. Dealing with people who have been brought up differently under a set of ideologies I am not very familiar with was intimidating. But in the end, I realized good people are good people regardless of which system they function under, and that people anywhere can appre…
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我らブラウン家、ドイツへ家族揃って赴任。自らやはり仕事に没頭していたので、あまり大きく世界の流れをとらえる事ができませんでしたが、今振り返ってみると歴史的な瞬間に立ち会う事ができた、家族にしても思い出深い経験でした。フランクフルトの郊外の片田舎に家族の家を構え、僕は工場に近い東に200km行ったバッド・ハースフェルドという国境の町で週末を除くアパート生活を始めました。ミシガンとカナダと同様、家族はエホバの証人の仲間に助けられて、順調に生活が回り始め、子供たちはフランクフルト・インターナショナル・スクールで国際的な感覚を吸収し始めました。この経験が彼らの将来に向けての人間形成に深い影響を施しています。共産主義の破壊が始まり、世界の転換期の一つを現場で経験。非常に心に深く残る人生の一過程を進み始…
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Our family had arrived in Germany, and our great Europeam journey commenced. Though just being there, initmately involved in the project really did not allow me to look at the big picture of what was happening around that time, looking back, it was a very historical moment for Germany and the world, My family settled down in Frankfurt while I got m…
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カナダから本社へ戻り、アジア・パシフィック部門へ在籍することになり一年ちょっとしたある日。急に副社長のマクダニエルの部屋に呼ばれ、”CAMIのボスのトム・ラソーダから連絡があり、東ドイツの新工場立ち上げのプロジェクトにリックが欲しいと誘われているがどうだ”と聞かれれました。驚きでした。振り返ってみれば、この瞬間が自分のGMでのキャリア進行方向をがらりと変えたんですが、その当時色々な事が頭に浮かびました。アジア分野に徹するべきか、又生産の世界にもどるのか。カナダからミシガンに戻って、まだたったの一年。家族はどう思うか。自分なりに随分悩みました。でも最後には家族も理解してくれ、自分自身も僕の事を信じてくれて、是非東ドイツでも一緒に手助けして欲しいと誘ってくれたトムのオファーを感謝し、最後には受け…
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Having spent just over one year back at GM's Asia Pacific Division located at the headquarters, I received an offer to move to Germany. Tom LaSorda, my boss in Canada (CAMI) was given the responsibility to launch a new Opel assembly plant in Eisenach, and took steps to reassemble his CAMI team for the project. Again, this offer to join his team the…
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カナダから戻り、本社のアジア・パシフィック部門に配置され、本社スタッフとして通常の予算、事業計画作成などをビジネス・プランニングマネージャーとしてこなしていました。ある日、ボスのマクダニエル副社長に呼ばれ、いすゞ本社へ出向きあるGMの意向を伝えて欲しいと指示がでました。その意向と言うのが、筆頭株主としてGMがいすゞの経営にもっと深く参画したい、という要望でした。自分自身、キャリアを通してこのようなアライアンスに関する話し合いの場に何度も出くわしましたが、今回が第一ステップでした。その当時はただ、いすゞ・GMの事業提携の相乗効果をフルに展開し、自然の流れでGMが一段といすゞの経営に関わっていくという事を頭にいれて、いすゞ側の沢山の幹部と話し合えることができました。将来の為にも非常に役立った特別…
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カナダでの工場立ち上げ業務も、自分の役割は終了。次の赴任先を決めるプロセスが開始。生産分野へ残り、リーン・プロダクションをGM内部で広げる試みに参画するのか、自分の腕をかってくれた他の会社へ移るのか、それともGMに入った時の趣旨にそって日本、又はアジア関連の仕事を追求するのか。それらがチョイスでした。この時点からGMに25年ぐらい居残る事になるのですが、大企業内の渡り術はどうすればいいのか、など考えさせられた時期でもありました。又この期間はヨーロッパへ移る前の一年間で、一番官僚的な仕事をやって時間を費やしていました。淡々と仕事をこなしていたGMコーポレート・スタッフという自分の時期。でも結局は次の本当に世界が広がっていった部門への配置につながる、いい機会でもありました。…
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After almost three years, my assignment at CAMI in Canada came to an end. And it was time for me to move on. Among the few choices presented, I opted to go back to Detroit to be part of GM's Asia Pacific Division. My job description was Business Planning Manager, and the new boss, Tom McDaniel, tasked me to keep him abreast of the monthly performan…
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話すことが山とあり、整理に苦労し、最後には総括編まできてしまいました。話の繰り返しも少しありましたが、付き合っていただきどうもありがとうございます。仕事の内容から、人との出会い、アメリカを離れる機会、新しい土地の経験などあり、充実した三年間でした。今でもCAMIは操業しているし、一緒に立ち上げに加わった仲間たちが、最近リタイヤしていく話を時々、風の便りで聞きます。又CAMIを基盤として、GMの内部で活躍した仲間もいるし、他メーカー、他業種に移っていった仲間たちの顔が目に浮かびます。GMに入って本当によかったと思った三年間でした。次回からは、又デトロイトへ戻り、本社で働く自分を描くことになります。次から次への思わぬキャリアの進展、能力さえあれば、最後はやはり人が全て。ここまでは、Never a…
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E14、CAMIシリーズ、パートII. 工場経験一切ない僕を向かいいれてくれたCAMI. トレーニングマネージャーとして、採用から研修分野を工場長のトム・ラソーダから仰せつかり、担当。今回のエピソードでは、主に、皆の協力を得ながら仕事を進めていく自分、そして仕事内容を描写しています。スズキの流れ生産方式を導入するにあたって、CAMIに来た皆に何をわかってもらわなければいけないのか、どのようなスキルを吸収し、活用して工場の生産性をあげていくのか。結束力があるチームと一緒に資料を作り上げ、研修を実施し、又トレーナーたちを育てていくことは非常に的がはっきり定められた、やりがいのある仕事内容でした。当時アメリカでは日本の自動車メーカーの工場進出が始まり、各地域で、各メーカーが総力をあげて、立ち上げの…
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GMに来たのはいいけど、国内経済の不況、自動車業界の停滞、日本メーカーの追い上げと会社は入社二年後危機に直面。業績回復のための大幅合理化が会社全体で始まり、ほぼ新入社員であった僕がいた本社部門にも波が到来。せっかく家族もミシガンに落ち着き、これからと言う時だったので、とまどいました。自分で決めた事、デトロイトへ来た事自体は後悔しなかったですが、何しろ新天地。さあ、どうしましょう、という感じでした。でも最後にはGMカナダが救ってくれました。GMのトヨタと設立したNUMMIの次の日本メーカーとの合弁の第二弾として設立された、スズキ自動車会社との新合弁会社、CAMI. そこが誘ってくれて、やっと生活にもなれたアンアーバーを離れ、カナダに引っ越しする決心をしました。その時ここCAMIで出会ったGMと…
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This is the second and final part of my days at the Suzuki-GM JV CAMI. Having come to work for General Motors, being at CAMI really felt like working for a car company. This experience really helped my involvement in various other disciplines in the days ahead. CAMI was a great place in terms of the task at hand (plant launch), working as an expat …
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Only after two years after arriving at GM, I am forced into a decision due to financial difficulties at GM: leave GM or find another position within GM. Had no desire to leave GM, but also did not know if I, a new expendable new recruit, could stay within the company. GM was mired in recessions, and heads were rolling. Thankfully, GM of Canada came…
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海外事業開発部に所属し、井沢さんの元でこの二年間色々な事やらしてもらいました。オークション、エンジンの選択、日本の部品メーカーと合弁交渉、日本での車の拡販。将来非常に重要になるスズキとの関係。そのきっかけが出来たのも本社にいたこの時期でした。新入社員で初めは普通はおとなしく、組織とか業界を勉強しなければいけない時期に、色んな世界に足を突っ込むことができ、挫折なども勿論経験しましたが、活気があった二年間でした。今振り返ると将来へはばたくスプリングボードに足をかけ始めた時期でした。
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After joining GM's overseas project development group, I started to take on various projects. Our group functioned almost as a group of consultants, each handling his or her area of interest, working with other staffs and operatations. Kei and I were the Japan duo. Without much knowledge about the industry, with Kei's support, I started my own invo…
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家族と一緒にロスからデトロイトへ移動。1985年の蒸し暑いミシガンに到着。ここから僕のGM人生が始まります。どのように展開するかなどは不明。徐々に足を踏み入れていく自分、あまりにもGMの巨大さに驚く自分など描写しています。振り返ってもまあまあのスタート。後悔も一切なし。人生いつでもそうですが、この時期も色々な仲間に助けられ、無事に通り過ごしていくことができました。
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Our family has completed a long trek from Los Angeles, arriving in Ann Arbor, Michingan in summer of 1985. I am now at a significant point in my life, emarking on a personal journey with General Motors. I had no idea how that would turn out. In this episode, you will hear me talking about getting my feet wet, feeling awed by the enormity of GM. But…
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人生生き抜くためには決断力が必要です。GMからオファーがあり、それを考え抜いて最後に移る決断をした瞬間が僕の将来を定めました。悩むこと多かったんですが、今振り返るとよく大決心したなと思います。短いエピソードですが、補足的にGMの心境を話してみました。
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ボーティーク・アメリカも終了し、カルフォルニアへ戻り、アメリカでの生活の再スタート。ほぼ五年間の期間の総まとめ。いずれはGMへの道へつながるわけですが、その時に下した決断次第で、人生の航路はとてつもない別の方向へ進んでいた可能性も大。今振り返ると人生の道のりを定めた非常に重要な時期でした。(これはエピソーデ11番の日本語版です。口頭に13番と間違って言ってしまいました。)
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USC卒業後、ロスで日米貿易収支バランス改善を目的とした多種のプロジェクトに参加。日米両政府が日本でボーティーク・アメリカという対日貿易拡大プロジェクトを遂行することに合意した際、そのプロジェクトに当時所属していた会社を通じマーケティング・ディレクターとして参加。今回はそのプロジェクトに参加した経験をもとにエピソードを作成しました。この時で来た人脈が何れ僕をGMにつながる道に導いてくれました。
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1974、智英子とのアメリカ生活開始。長女愛が1975に誕生。その翌年USCを卒業。就職困難な時期友達の紹介でロスのJETROへ就職。日米貿易戦争の最中、広報会社、プレスエイド社へ移り、対日輸出拡大を奨励する事業などに参画。1985年にGMに入社するまでの道のりの第一歩を踏む。
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Life filled with just work and schooling. Ai, our first, was born on March 27. Working the midnight shift and attending school was not easy but I had a goal. Upon graduating from USC, the labor market was weak which led me to an employment with JETRO, Japan's trade promoting organization. And, the rest is hiostory, leading me all the way to General…
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Quick Reference Guide